2017年12月3日日曜日

シエラネバダの「メインテナー」(トレイルの話)


シエラネバダ山中の、石で囲って崩れにくくしたトレイル。一番手前の石は「ウォーターバー」で、写真の左側に水を逃がすようになっている
2014年、PCTを歩いていた時の話。
シエラネバダ山中では、PCT(パシフィック・クレスト・トレイル)とJMT(ジョン・ミューア・トレイル)がほぼ重なる。ここで自分は「メインテナー」と会った。
実は2012年にも同じあたりで作業している一団と会っていて、少し質問させてもらった。前回も今回も彼らは数人1チームで、スコップやツルハシ、ノコギリ等をトレイルの側に置き、何やら作業していたのだ。彼らがトレイルメンテナンスを専門に行う短期労働者で、給料をもらって作業しているということまでは前回聞いていた。
今回はまだ準備中のようだったので、ヒマそうな1人のヒゲもじゃを捕まえ、立ったまま話をした。自分としてはもう定番の、日本から来たんだけど質問していいかという流れだ。この聞き方は大変便利で、大概の人間が答えてくれる。ヒゲは何年か続けてこの仕事をしているらしく、かなり詳しく教えてくれた。
「それで、キミたちは『メインテナー』なんだね?」
「まあそうだな。正確にどう呼ぶのかは知らないが、俺たちはそう言っている」
「『レンジャー』じゃないの?」
レンジャーの仕事には、トレイルメンテナンスも含まれる。
「違うんだ。ほら、レンジャーは制服着てるだろ」
レンジャーは、National Park Service(国立公園を所管)やU.S.Forest Service(国有林)など所属する組織のワッペンがついた制服を着ている。しかし、彼らは見事なまでに薄汚い私服だった。Tシャツにネルのワイシャツ、ジーンズやカーゴパンツといった出で立ちで、Tシャツなどは「元は白かった」のが見てとれるくらいだ。
「制服くらい、貸してもらえないの?」
「う~ん、俺たちは、国立公園とかで働いているわけじゃないからなあ」
「どういうこと?何て言うか、キミたちの給料はどこが出してるの?」
「俺たちはな、『インターエージェンシー』に雇われているんだ。給料もそこから出てる」
「ええっ?そうなのか!」
国立公園はそれぞれが独自の予算と人員を抱えているし、国有林とはそもそも省庁が違う(国立公園は内務省、国有林は農務省)。しかし自然が豊かな地域では、当然いくつもの保護区が隣り合っていたりする。我々ユーザーの視点からすると「歩いていると隣の保護区に入ってしまう」ようなエリアでは、複数の地域に対して通用する入場許可証(permit)が発行される事がある。これがインターエージェンシーで、場所によってはインターエージェンシーのビジターセンターが置かれていたりする。
悪名高きJMTのパーミットは、このシステムで発行されている。南北に走るJMTに北側からアクセスすると、ハイカーはまずヨセミテ国立公園に入ることになり、公園内でパーミットを求めることができる。しかし実は、JMT南端近くの道路沿いにはインターエージェンシーのビジターセンターがあり、マウント・ホイットニーの登山やJMTのパーミットを発行している。
言われてみれば、自分はそのセンターがどんな予算で運営されているのか考えたことが無かった。ヨセミテの様子から、インターエージェンシーというのはバーチャルな組織で、国立公園の職員がその業務を行っているようなイメージでいたのだ。彼の説明の通りなら、インターエージェンシーも独立した組織として予算と人員を持つことになる。
「じゃあ、自分が所属する省庁は知らないんだね?」
「そうだな。俺たちはパートタイマーで、公務員じゃないし」 
パートタイマーというのは通常、日本で言うアルバイトのことだ。しかし、この場合・・・
「それそれ。キミら、夏だけ働くって聞いたけど」
「うん。だいたい5月から10月くらいかな」
シーズナル(季節労働)なのだ。
「5ヵ月って、山に通うの?」
「泊まってるんだ。近くにレンジャーステーションがあるの、知ってるか?」
「地図で位置は知ってる。JMTから外れてるから、行ったことないけど」
「あの中にバンクベッド(多段ベッド)があってな。向こう数日はそこだ」
「テントにコットとかじゃないのか」
コットというのはフレームに布を張った簡易ベッドのことで、建物の建設に制限がある国立公園などでは、なんと言うか運動会に使うような頑丈なテントに、壁も屋根と同じ頑丈な布を張り、コットを仕込んだものが時々見られる。こういったテントを使った観光客向けの宿泊施設もある。
「そういうところもある。シエラのエリア内に、何ヵ所か俺たちが泊まれるところがあるんだ。作業が済んだら、次の作業に近い施設に移動する」
「街に降りないの?」
「休日は1日とか2日なんだ。降りても良いけど、俺はほとんど山の中だね」
「食事やシャワーはどうしてるの?」
「食料はレンジャーたちが、ラバで運んでくれる」
「あ、あの『キャラバン』は、キミたちの食料を運んでいるのか!」
トレイルヘッド(トレイルの入り口)の駐車場で。ハイカーたちと、ラバのキャラバンが行き違ったところ。
シエラの山中で何回か見たことがある。馬に乗ったレンジャーが、荷物を背負わせたラバ(オスのロバとメスの馬から生まれる家畜)の一団を率いているのだ。ハイカーたちはキャラバン(隊商)と呼んでいた。レンジャーたちも山中で過ごしているからその生活物資と思っていたが、メインテナーの分も運んでいたのか。
「だから街に降りなくていい」
「シャワーは?ぜんぜん浴びないの?」
「ぜんぜんってことはないよ。ヨセミテ・バレーにはシャワーがあるから、あのエリアでは普通に浴びている。洗濯もするし」
ヨセミテ・バレーは、広大なシエラネバダで唯一の「観光客を大規模に受け入れている」場所だ。シャワーだけでなく、コインランドリーにプールまである。 関係者向けの家屋も多少は建てられている。野外生活の必要はない。
「他のエリアでは?」
「ハイカーがシャワーを浴びられるところでは俺たちもそうしているよ。あとは、時々だが体に石鹸を塗りたくって、川や湖に飛び込むな!」
わはは、とお互いに笑いあった。アウトドアを全くやらないヒトたちは、野外に出る我々を「川とかで体洗ったりするんでしょ」などとフケツさや過酷さを際立たせたイメージで馬鹿にする。実際にはこういった行為はシャレの範疇で、それに依存することはない。時々なら逆に面白い(シャレだから)し、やったほうが清潔になるのも事実だけれど。そこらへんの距離感は、長距離ハイカーもメインテナーも同じような感覚のようだ。 山中にリゾートなどがあれば、普段はそこへ行ってシャワーを使うのである。
「それでさ、どんな作業をしてるの?」
「雪解けが始まるとシーズンで、まずは『ドレーン』の掃除だな。冬の間に枯葉とか小枝がたまって、土をキャッチして埋まってしまうんだ。ハイカーがどっと来る前にコレを掃除してドレーンを通すのが第一で、一緒に『ウォーターバー』の手入れもしなきゃならない」
ドレーンとは排水路のことだ。山道というのはどうしても水の通り道となってしまうもので、放っておくと雨や雪解け水でどんどん路面が削られていってしまう。アメリカのトレイルには、この水を斜面の下側に逃がすための排水路がよく設けられている。ウォーターバーは、水をドレーンに導く「棒」なのだが、木の棒だったり石を並べたものだったり、場所によってはゴムの板だったりもする。トレイルに対してナナメに設置されているから見れば分かる。
「もう6月だけど」とニヤニヤしながら突っ込むと
「アハハ、そうだな!ドレーンの作業はそろそろ終わりだ」と彼も笑った。すでにハイカーが押し寄せる季節になってしまっていた。
「それで?その後は?」
「崩落なんかがあればその補修があるんだが、今年は急ぎのはなさそうだな。とりあえずこのエリアのドレーンを片付けたら、ハードユース区間に岩でステップ(段)を置く予定が入っている」
「へー。JMTの『人口』を考えると、そのうちトレイル全部が岩で覆われちまいそうだけど」
「それは俺も残念に思っている。自然な感じがしなくなるからな。でも、土のままだと崩れたりするし。仕方ないと思う」
「他にはどんな作業があるの?」
「滅多にないが、トレイルを閉鎖して並行するトレイルを新設することがある。そのくらいかな、大きな仕事といえば」
つまり彼らは「トレイルビルダー」でもあるわけだ。正式な職業名は何なんだろうとも思うが、そもそも「正式な名称」とかを気にしないのがアメリカ人である。
「そういえば、古いルートに枯れ枝なんかを放り込んで歩けなくしているのを見たけど、あれはキミらがやっているのか」
「あー、枯れ枝とかはレンジャーがやってるんじゃないかな」
微妙に区分があるようだ。
「5ヵ月間、ずっとそんな作業があるの?」
「だいたいあるよ。来年に持ち越しの作業もあるし、やろうと思えばいくらでもあるんじゃないかな」
山での生活のこと、作業のこと、面白くてずいぶん長時間話させてもらった。彼は自称スキー狂いで、冬はスキーばかりして過ごすか、カネが欲しければスキー場でバイトするかだそうで、夏だけ働けるメインテナーは都合のいい仕事だという。今後も続ける気満々だ。イヤならその年はやらなきゃいい、というスタイルらしい。
「そうは言っても、夏中ここで過ごすんだ。キツくない?」
「いやあ。この景色、この環境の中で過ごせるんだ。素晴らしいよ!」
そんな話をしていたら「おっと」と言って彼がトレイルからどいた。自分も横を見て同じ方向に避けた。通行者だ。だがただの通行者ではなく、それは「ロバに乗った男」だった。
アメリカの自然保護区はペットを連れて行くことに規制があるのが普通(規制しないと大量の観光客が犬の散歩に来る)だが、エリアによっては家畜の運用が許可されている。シエラネバダは舗装された道路がヨセミテを1本横切っているだけで、あとは道路で多少アプローチできても中に入っていくには歩きか家畜かしかない。レンジャーも馬やラバを使っている。この制度を逆手にとって、馬やラバに乗って野外を楽しむ人たちがいる。また自分はペット(だと思う)の背に荷物を縛り付けて歩いているハイカーを見たことがある。それはヤギだったりリャマだったりアルパカだったりしていつも驚きだが、この男はさらに珍しかった。ソンブレロ(メキシカンハット)に毛織のポンチョ、拍車の付いたブーツをはいて、まるで開拓時代のようなスタイルだったのだ。見事な口ヒゲもたくわえていた。乗っているのは全身真っ黒で、自分の知っているラバより耳が大きく、耳の先端にいくつかまとまった短い剛毛が生えていたからロバだと思う。
あまりの見事なコスプレぶりに自分は口をあんぐりと開け、写真を撮るのも忘れてロバを見送った。
ヒゲのメインテナーはくっくっく・・・と笑いをこらえながらこちらを見て
「なあ。この環境に5ヵ月だぜ?たまんねえだろ!」
と言ってきた。全くだ。面白すぎる。ひと夏をシエラネバダで過ごすというのは、何ものにも代え難い体験なのだった。